個性とか競争とか社会とか(たたき台版)
昨日、注目ブクマを見ていたら、久しぶりに「世界に一つだけの花」ベースの個性論のお話を見つけた。
『使えない個性は、要らない個性。』 - シロクマの屑籠
ブクマの文字制限に押し込むべき内容をうだうだと考えているうちに携帯片手に寝てしまって、気付いたらブクマ数が伸びてた。
結局その後もうだうだしつつ、以下のようにブクマした。誤字脱字はご愛嬌。
個性やオンリーワンの一人歩き。あの歌は、まず今の自分の許容する事を推奨。その上に何を積み上げるかはその人次第。個性は競争の対極でない。/他人と全く違うオンリーワンを求める事はナンバーワンと変わらないよ。
その他にも色々纏めたかった考えもあるし、p_shirokuma氏と意見は違っても否定する気はないのに、ちょっと言葉足らずだったなと思ったので、思った事を思いつくまま書いてみることにする。
今は自分の中で意見を多方向に発展させすぎちゃっているので、自分の中のまとめも兼ねて、たたき台としてのエントリにとどめておく。
前提
- 私は槇原氏のファンである。
- 今日の雪を見て「北風」の鼻歌を歌うくらいには好きだけど、最新曲が分からないくらいのレベル。
- 曲から感じる槇原氏の人柄も好きである為、槇原氏批判には擁護したくなる人間である。
頭の中にあるネタ
- 個性とは何ぞや
- 個人的には「素の自分」。他人向けの自分も内面も全部ひっくるめて「自分」を形成しているもの。
- 自分という「個」を指しているのみで、「人と違う・自分特有の何か」ではないという認識。
- 「個性」を大事にするとはどういう事か
- 今の自分を許容(肯定?ニュアンス的に微妙)すること→自分の軸というか、土台の再確認。
- 個性は競争と対極であるか
- 個人的にはNO。相対的に求めたり探したりする「オンリーワン」は、土俵が違うだけで「ナンバーワン」でしかない。
- 今の自分がスタート地点で、「どうなりたい」「どう変わりたい」という目標・願望がゴールなら、競争は自己実現の方法・選択肢の一つである。
- 競争と個性は横軸と縦軸の関係かもしれない。
- 多様性はあくまで「多様性」であって、競争から降りるという選択肢は提示しても、降りる事自体を推奨しているわけじゃない。
- 競争社会のメタとして提示されてしまった個性とオンリーワン−なぜ「個性」が誤解され始めたか
- 自分の記憶的には、偏差値教育の否定に「個性」「アイデンティティ」を持ち出したからややこしくなった気がする。
- 自分が考えるあの歌のポジション
- 競争で自分(スタート地点)や目標(ゴール)を忘れてしまうくらいにテンパってる人の肩を叩きつつ、「まぁまぁ少し落ち着け」と言ってるイメージ。
- ちょっと深呼吸して落ち着いて、今の状況に疑問があるなら別の可能性に目を向けるのも良いし、やはり追いかけたい目標なら、その気持ちを忘れずに頑張れという感じ。
余談
- そういえば、昔は「世界に一つだけの花」があんまり好きじゃなかった。
- イメージが変わったのは槇原氏のカバーを聞いてから。拡大解釈してる事に気付いた。
- 「作り手としてのメッセージと歌い手としてのメッセージ」(個性とかと別の話になるから詳細は省略)
- 「槇原氏の曲はなぜ拡大解釈されやすいのか」(個性とかと別の話になるから詳細は省略)
- シチュエーション・ストーリー要素が入っている為、感情移入がしやすい云々
- ミュージカルまたは、ドラマとBGMの関係に近いとか云々
- イメージが変わったのは槇原氏のカバーを聞いてから。拡大解釈してる事に気付いた。
- 時々、「花屋」が舞台である事にツッコミが入るけど、2番で野花を使った比喩は出てくるんだよね。
- あの歌自体が「たとえ話」化しちゃって、想定外の部分に要素を持たされまくった結果、話が混乱してる気がする。
さすがに眠くなってきたからとりあえず中断。また書き足すかも。