アレルギーは常識になったのか

最近はてなを賑わせている蒟蒻ゼリーの問題について、はてなブックマークで多くの星をいただいた。

アレルギーですら、与えて慣れさせろ的な誤解が年配者を中心に未だに残ってる。新たな社会的常識が発生した場合、それを完全に浸透させるには時間がかかるという事なのかも。

蒟蒻ゼリーについても色々まとめたいんだけど、元アレルギー持ちとしてはまずそちらについて記載したかったので、とりあえず書いてみる。携帯からだから読みにくいのはご容赦を。

・ アレルギーの昔話
今から約20年前、小さい頃の私は卵と牛乳のアレルギーだった。他にもお肉とかチョコとかもダメだった。ついでに妹もアレルギー持ち。母はアレルギーについてはかなり頑張ってくれたので、顔や露出する肌に湿疹ができることは稀で、当時の痕等は全くない。
母がアレルギーに対応できたのは、従姉弟が重度のアレルギーで、今考えると良く助かったと思うくらい危ない状態になったり、食べられるものが少ないくらいの中で叔母が奮闘しているのを見ているからだと思う。
母方の祖母も、私達姉妹や従姉弟が家に来る際は食べ物に気を遣っていたのを覚えてる。嫁姑問題がなかったわけではないだろうけど、少なくともアレルギーについては理解があった。

自分の記憶や母の証言を纏めると、無知と無理解だったのは幼稚園や保育園、学校の先生だった。「少しずつ食べて体を慣れさせる」という無知の先生もいたし、好き嫌いと混同して食べさせられたこともあった。たしか、蕎麦アレルギーの子に教師が無理矢理食べさせて死亡させた事件が報道されたのもこのころだった気がする。
ただ、先生に全く理解がないわけではなかった。小学校は校内に給食室があって、よく私達姉妹向けに「卵が入る前の炒め物」とかを取り置きしてくれた。牛乳飲めないからとお茶を持ち込む私をからかった男子を厳しく諌めたのも先生だった。越した先の給食センターは、材料まで細かく載せたメニューを事前にくれたので、母はそれを元に代替品を持たせてくれた。本当に多くの人にお世話になったから今の自分がいるので、先生全般に対しては感謝の方が大きい。

個人的な話ベースで申し訳ないけど、「先生が無理解だった」とかの先生批判ではなく「教職ですらアレルギーに無理解・無知であった時代がある」という事のエピソードとして捉えていただきたい。
今でこそアレルギーは社会的な常識としてかなり定着したけど、じゃあアレルギーに対する無知が消えたのかと言えばまだまだ残っているのが実情ではないかと思う。20年も経ったと言えるし、20年しか経ってないとも言える。

・ 「常識」の難しさ
常識の定着化という視点で考えると、子育ての「常識」というのは厄介だと思う。特に乳幼児期の子育てについては昔と今で全く反対の事が言われる事も少なくない。
身近な子育ての先輩である両親も20年から30年のブランクがあるのだから、いつの間にか常識が非常識になっている可能性もある。自分が年を取った時を想像すると、自分の中の常識を無意識に適用してしまいそうで怖い。
問題は個々の問題じゃなくて、常識化すべき問題を如何に啓蒙すべきかという問題な気がする。

・ 余談
そういえば、振り込め詐欺も似た問題な気がする。知識として知っていても身に降りかかると行動できない事はままあるから、振り込め詐欺にひっかかった人を責められないよ。
あと蒟蒻ゼリーに話を戻すと、あれはゼリーって形状が話をややこしくしてる気が。バイキングか何かのデザートコーナーに置いてあったら、蒟蒻ゼリーか普通のゼリーか見分けつかない気がする。ナタデココとなら区別つくんだけどなぁ。そいえば、ナタデココの誤飲事故ってあるのかな。ないのなら、逆に固くしてコロコロサイズにするのはダメなのかなぁ。