好き嫌いについて

唐突でなんだけど、一つのお題に関して長期的に考えることが好きだったりする。この前書いた「個性について」も色々と考えていて、連想が「好き嫌い」に(何故か)行き着いたので、記載してみる。携帯からなんで、読みにくいのはご容赦を。

好き嫌いについて色々連想すると、食べ物なんかの好き嫌いは割とはっきりしてるんだけど、有名人や抽象的なものについては「でも好き(嫌い)」というものが結構多い気がする。
本人達には色々あったんだろうけど、事情を知らない自分からは好きなアーティストの相手と不倫→略奪婚したようにしか見えないから好きになれない有名人とか、
好きな芸能人が逮捕されて、罪は罪だと思うけど、本人に直接会ったこともないのに昔のインタビューを思い出して「辛かったんだろうか」と思ってしまったり、
同じ罪でも、なんとなく好きじゃない有名人についてはちょっと冷たい事を考えてしまったり。
最近また時の人になりつつあるホリエモンの事を、会社が昇り調子なのに株主に配当しなかったのが気に入らなくて、彼の論に対してメタな視点ばかり探してしまったりもしてる。
ホリエモンについてもよく考えると、そもそも嫌いになった当時の自分は若かったし、何となくで気に入らない扱いしてる自分に問題があるし、ホリエモン氏には申し訳ないんだけど、ご容赦頂きたい。
(当時は教科書レベルの株知識しかなかったから、配当は株式のルールだと思っていたなぁ。今もよく分からない。株主優待は知ってるけど。株については改めて調べてみよう。)
要は具体的な内容に対して「でも」と言いたくなる事が好き嫌いなんじゃないかな、と考えてみた。

と思ったんだけど、「でも」とか何とか言っちゃってる部分というのは逆に、単に自分が自分の好き嫌いを認知した段階で、それに対するメタ視点に切り替えてるとも考えられる気がする。
なんだろう…好きとか嫌いに対する後ろめたさや、自分に反する意見への言い訳や予防線のような。
言い訳+「でも」→主観
みたいな感じ。
それを言い訳と取るか、配慮か譲歩と取るのかは読み手・受け手の「でも」に繋がるかどうかなのかも知れない。

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書いていてごちゃごちゃして分からなくなってきたので止め。
やっぱ箇条書きだと整理しやすいね。
箇条書きだと部分的に消化不良起こすのが難点だけど。

あと、メタ視点についてはもう少し膨らませそうな気がする。
もう少し考えてみる。